大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(う)2746号 判決 1958年12月09日

本籍 朝鮮京幾道仁川府花平町十二番地

住居 沼津市我入道江川町十九番地の一大一トラツク急送株式会社内

自動車運転者 清水賢治こと 李得賢

大正二年二月二十九日生

本籍 沼津市我入道津島町二百六十八番地

住居 同所同番地

自動車運転助手 鈴木一男

大正十年三月二十八日生

右の者等に対する各強盗殺人事件について、昭和三十二年十月三十一日静岡地方裁判所沼津支部が言渡した判決に対し、被告人両名からそれぞれ控訴の申立があつたので、当裁判所は検事竹島四郎出席の下、審理し、次のとおり判決する。

主文

本刑各控訴を棄却する。

被告人両名に対し、当審における未決勾留日数中三百日をそれぞれ本刑に算入する。

当審の訴訟費用は全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は未尾に添付した被告人両名の弁護人鈴木忠五名義の控訴趣意書及び同控訴趣意書補充申立書記載のとおりで、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。

先ず最初に本件の証拠についての当裁判所の判断を述べる。

(一)  司法警察員作成の昭和三十年五月十二日付検証調書二通に、原審証人杉山忠、同三枝孝四郎の司法警察員及び検察官に対する供述調書、小出栄太郎の昭和三十年五月十二日付司法巡査に対する供述調書、同人の同年六月二十日付司法警察員に対する供述調書、小出綾子の同年六月十日付司法警察員に対する供述調書、小出博の同年五月十二日付司法巡査に対する供述調書を綜合すると、沼津市我入道江川町に本社のある大一トラツク急送株式会社(以下単に大一又は大一トラツクと略称)の貨物自動車一七〇号を運転する杉山忠が助手三枝孝四郎を同乗させ、昭和三十年五月十一日東京都を出て大一沼津本社に帰る途中、翌十二日午前二時半頃静岡県三島市田町千三百九十番地大一トラツク三島荷扱所となつている丸正運送店に立ち寄つたところ、同荷扱所の東側半分を仕切つて洋服仕立業小出栄太郎の仕立台を置いてある表四畳間に、栄太郎の妹千代子が手拭で猿ぐつわをされ、頸部を細紐で絞め殺されているのを発見したこと、右杉山忠の自動車が丸正運送店に着く直前、同家二階に寝ていた栄太郎夫妻が相次いで便所におりて来たところ、便所への通り路である奥四畳半と千代子が寝ていた六畳間との間の襖がいくらか開いていて、千代子が前夜消しておいた筈の六畳間の電灯がついていたから、通りすがりに見たところ、六畳間の洋服箪笥小抽斗が引き出されたままになつていたこと、丸正運送店は夜間でも大一の貨物自動車が来て荷を下すことがあるから、栄太郎夫妻は六畳間の電灯がつき、平素千代子が金を入れたチヤツク付手提鞄を入れておく洋服箪笥小抽斗が開いているのをみても、いつものように大一の自動車が着いて千代子はその荷物受取やら運賃支払のため起き出し、電気をつけ金を持ち出しているものと考え、別に不審には思わず、そのまま二階に上つて行つたが、間もなく助手三枝孝四郎の声に起され、急いで階下店の間に出てみると、前記のように千代子が無惨な死を遂げているのを発見したが、千代子の寝ていた夜具は人が自然に起き出たもののようになつており、金の入つているチヤツク付手提鞄は千代子の死体の傍にチヤツクを開いて置かれてあり、その様子からみていかにも千代子が大一の自動車が来たものと思い運賃支払のため箪笥の小抽斗から金を持つて店の間に出て来たところを抵抗する間もなく何者かに殺害されたと思わせる状態にあつたと認められ、小出綾子の司法警察員に対する昭和三十年五月二十二日付供述調書によれば、千代子の手提鞄には当時九千七百円程度の現金があつたと推定されるところ、その中封筒に入つていた現金二千九百円と外に小銭百三十三円が残つたのみで六千七百円ばかりが紛失していたことが認められる。而して前記千代子の口に猿ぐつわをしてあつた手拭(昭和三二年押第九八〇号の二〇)に小出栄太郎、小出綾子の昭和三十年五月三十日付司法巡査に対する各供述調書、原審証人山田昭雄同水野義猛の供述を綜合すれば、右手拭は大一トラツク藤枝営業所が昭和三十年度の年賀用として三百本を註文し、特に藤枝営業所の名前を入れたものを製作納入させ、同年正月から二月初の頃にかけ得意先やその他同営業所に来る大一トラツクの運転手、助手等にもこれを配布したものの一本であるが、小出栄太郎を初め丸正運送店の人でそのような手拭を所持使用していたことがなく、千代子殺害犯人が犯行に供したまま遺留していつたと認められる。

(二)  原審並びに当審証人酒井良明(但し当審は第一、二回)の供述及び酒井良明の司法警察員に対する供述調書や前記司法警察員作成の検証調書によれば、酒井良明は昭和二十七、八年頃約八ヶ月間大一トラツクに勤務していたが、大一トラツクを辞めてから三島市ツバメタクシーに雇われ、自動車運転者をしているところ、同人が昭和三十年五月十二日午前一時過ぎにツバメタクシーから車を運転し、カフエーつばさに於て客を乗せた後同市田町にあつて丸正運送店から僅か五十米位西に位置する極東商会前を通過した時、丁度そこに一台の貨物自動車がライトを消し、エンジンを止め、北向きに停車していて、右自動車の鮮かな塗料の色からみて紛れもなく大一所属の貨物自動車で、年式等は不明で、積荷の程度も判らないが、日野ジーゼルの七噸か七噸半の型であり、その附近に乗務員の姿が見えなかつたことが認められる。又静岡運輸株式会社の九二号車を運転していた原審証人大橋忠夫の供述によつても、前記酒井良明の供述と同様に、日野ジーゼルの七噸積み位の大一トラツクの自動車がその頃極東商会前に停つていたことを現認したものと認められる。これら酒井、大橋らは、その職業がら大一所属トラツクの車体の色を良く知つていて、夜間通りすがりに見ただけであるが、大一トラツク以外の車を大一トラツクのものと見誤つたものとは考えられないところである。而して右貨物自動車の停止していた時間は正確に判断し得ないが、同日午前零時五十七分頃から午前一時五十三分頃までのある時期に極東商会前に一時停止し、間もなく同所を立ち去つていると認められること原判決証拠説明第二に記載するとおりであるし、該自動車に不審の点がある事も同第三に指摘するとおりである。大一の貨物自動車が丸正運送店に荷物を卸すためでなしに、その近くである極東商会前まで入りこむのは東海道を迂回することとなり、わざわざそうした不可解な行動をとる理由を説明するに苦しまざるを得ないからである。

(三)  被告人両名の原審公判廷における供述に、原審証人石川昭二同金子茂雄、同渡辺広二の供述、石川昭二の司法警察員に対する供述調書、金子茂雄の司法巡査に対する昭和三十年六月二十日付供述調書、同人の検察事務官に対する供述調書大一トラツクの「所有トラツク調査の件回答」と題する書面の記載を綜合すれば、大一トラツク所属一〇五号車は七噸半の積載量を有する日野ジーゼル製の車で、昭和三十年四月中より被告人鈴木が被告人李の助手となり相共に一〇五号車に乗務しており、同年五月十二日午前一時過ぎ遅くとも一時五分頃までに沼津本社を出発したことが認められ、この一〇五号車が順路三島市を通過した事は被告人両名の原審公判廷における供述により明らかである。

(四)  ところで被告人鈴木は司法警察員及び検察官に対し、沼津本社出発後の行動を詳細陳述し、三島市田町極東商会前に停車し丸正運送店に於て千代子を絞殺したことを述べていることその供述調書によつて明らかである。この被告人鈴木の自白が弁護人所論のように真実性のないものとは認められない。この事は別に項を改めて判断することとし、今一応被告人の右自白を考慮することなく、それ以外の証拠のみを検討するに、被告人両名が前認定のとおり午前一時五分頃までに沼津本社を出発したことと極東商会前に停止していた大一トラツクの車との間及び被告人李が嘗て所持していた手拭と千代子の猿ぐつわになつていた手拭との間に何らかの関連性(それはそれだけで被告人らが本件犯行の犯人であることまでを証明するとはいえないにしても)があると認められる。即ち

(イ)  大一本社から三島市三島大社までの距離は八、二五粁でこれを普通同社トラツクが東海道を往復する速度で走り十六分三十秒を要し、これに三島大社前から下田街道に右折し、更に三島市田町駅方面に右折し、同駅前極東商会前に至る時間を合計し十八分を要するとなつている。(原審昭和三十一年十二月二十九日付検証調書参照)それで午前一時五分頃までに大一本社を出発すれば午前一時二十三分までに極東商会前に達し得る筋合であるが、八、二五粁を十六分三十秒で走るのは時速換算で三十粁そこそことなるから決して早い速度とはいえない。本件の場合のように深夜東海道をそれ以上スピードを出すことによつて所要時間を十八分以下に短縮することは不可能ではない。仮に時速四十粁とすれば、所要時間は十三分程度となるし、十三分以下で走ることもそれほど困難なことではない。被告人李は平素大一トラツクの同僚からロケツトとかジエツトとか仇名で呼ばれるほどスピードを上げ早く走ることを得意とする者であること(被告人鈴木の録音による供述参照)及び昭和三十年五月十一日午前三時四十分頃東京から沼津への帰りに丸正運送店に寄つて荷物を卸し、午前三時五十分頃出発、午前四時本社に到着している旨記載のある大一トラツク運行証明書(前同押号の四一)によれば被告人等はこの五月十一日だけではなく平素常に沼津本社三島間を十分内外で走るだけのスピードを出していたと推定できないではなく、五月十二日の速度が平素より特に早いものでないにしても沼津本社から三島までの所要時間を十分位とみるのが寧ろ正しいと認められるから、被告人李が一〇五号車を運転し、五月十二日午前一時五分頃までに沼津本社を出発し、その間多少のゆとりをみても午前一時十五分乃至二十分までに極東商会前に達し得たとみる十分な根拠があるといい得る。

(ロ)  前掲(二)の証拠によれば酒井良明が車を運転しツバメタクシーを出たのが午前一時十分頃で、それからカフエーつばさの客を乗せ、極東商会前を通過したものであること既に認定したとおりであるが、酒井がカフエーつばさで客を待つた時間やその後急いで車を走らせると酒に酔つて乗車している客の気分が悪くなると困ると考えてゆつくり車を走らせていたことを考えると、酒井が極東商会前を通過した時刻はツバメタクシー出発後ちよつと間があつて、午前一時十五分乃至二十分頃より後になつていたと認められ、換言すれば一〇五号車が極東商会前に至り停止した時刻より早かつたとはいえない。そして酒井が同所において大一の車を現認していることは既に説明したとおりである。

又前記証人大橋忠夫の供述及び前同押号の三〇の運行証明書によれば、大橋が三島市望月運送店に着いたのが同日午前一時頃で、通常荷卸のため十分や十五分をかけていたのであるが、大橋が望月運送店の次に立ち寄つた沼津市戸田運送店ではその到着時刻が午前一時四十分となつていること及び大橋がその間の走行時間は十分か十五分程度であるとしていることをみれば、同人が九二号車を運転し望月運送店を出発したのは午前一時二十分を過ぎた後の事と認められる。

従つて右酒井、大橋両名が極東商会前を通過したのが、被告人両名が沼津本社出発後三島市田町に達し得るより前であるとはいえない。

(ハ)  極東商会前にその頃停車していた貨物自動車が大一所属のトラツクであることは前認定のとおりである。然るに大一所属の車の中一〇五号車以外にあつては、右時刻に極東商会前に停車していることが時間的に又距離的に不可能であるとの立証が為されているか、或いは又極東商会前に至り得る可能性はあつても現実にそこへ行かなかつたことの立証が為されているものばかりである。この事は原判決がその証拠説明第四に於て詳細に説示するとおりである。してみればその時刻に極東商会前に停車していた車は一〇五号車以外に考えられず、一〇五号車こそ酒井、大橋両名が現認した車であると認められる。しこうして一〇五号車が東京への途中東海道を離れ、極東商会前にわざわざ入り込む用事を持つていたことは記録上認められない。

(ニ)  犯人が小出千代子を絞殺する際猿ぐつわに使用した手拭(同押号の二〇)が大一トラツク藤枝営業所に於て昭和三十年年賀用として注文製作させ、関係方面に配布した手拭であること及び被害者たる小出方でそのような手拭を使用したことはなく、それが犯人の遺留品と認められることは前に認定した。ところで原審証人小出嘉一、同水野義猛の供述と昭和三十年一月二十六日付運行証明書(前同押号の三三)によれば、昭和三十年一月二十六日被告人李は助手小出嘉一と共に静岡県下を島田、藤枝、焼津と順次立寄つて集荷をした事実があり、その際藤枝営業所で被告人李に右手拭一本を与えた事実があると認められるに拘らず、同被告人はこの手拭を昭和三十年五月十二日以降には所持していなかつたのである。もつとも被告人李は藤枝営業所で右手拭を貰つたことはないと述べており、本件に於て直接証拠を挙げて同被告人がこれを貰つたことを証明できるものはない。しかし被告人李と共に藤枝営業所に行つた助手小出嘉一は右手拭を貰つていること明らかである。手拭一本の事でもこれを貰えなかつた当人とすれば気持のよい事でないから、年賀用手拭を渡さないで不快の念を与えることがないよう藤枝営業所としては特に気をつけるであろうと思われるし、助手の小出に渡しながら運転手の被告人李にはこれを渡さないというが如きは、その社会の儀礼としてもあり得ないところである。又岡崎ひさの司法巡査に対する昭和三十年六月四日付供述調書、原審証人石川昭二、同松浦重男の供述によれば、被告人李が藤枝営業所の右手拭に酷似した手拭を持つていたことがあると認められるし、原審並びに当審証人鈴木くら及び鈴木くらの司法警察員に対する供述調書山添富士子の検察官に対する供述調書によれば、被告人が本件犯行があつた頃からその使用していた手拭に代えて、新しい手拭を使用し初めた事実を認めることができるから、被告人李が藤枝営業所の手拭を貰つているとの直接証拠はないにしても叙下の証拠に基いて同被告人がこれを貰つていると認定するを妨げるものではない。殊に山添富士子の前記供述調書によれば、被告人李が「掛けておいた手拭が紛失したが、その手拭で絞めたといわれては嫌だなあ」と一人言のように洩していたが、それは本件犯行のあつた五月十二日より二、三日後の事で当時はまだ大一トラツク従業員は手拭を犯行に使用したことを知つているのみで、その手拭が藤枝営業所のものであることまでを知つてはいなかつたのに折も折被告人李が前記の如き一人言を洩したことは自己の紛失したと称する手拭が小出千代子殺害に使用されたものと類似していることを知つていたことを物語るものであり、結局他の証拠も綜合することによつて被告人李が本件の犯人であることを認める証拠となり得るといわねばならない。

(ホ)  証人渡辺広二、同佐藤三二の供述によれば、昭和三十年一月十二日午前一時二十分頃被告人が出発して後十五分位遅れ大一トラツクの本社を出発した渡辺広二、佐藤三二は箱根山の接待茶屋の手前で被告人等の一〇五号車を追抜いていること明らかで、一〇五号車は大一トラツク本社から接待茶屋まで二十二粁ばかり、普通の速度で一時間六、七分を要する距離(原審昭和三十一年十一月二十九日付検証調書参照)を走るのに、渡辺、佐藤両名より少くとも十五分位余分に費していることになるわけである。被告人等はこの遅れの原因を三島市広小路駅踏切前で一〇五号車の噴射ポンプに注油のため停車したことと、一〇五号車の荷物が重過ぎたので速力がでなかつたことに帰しているのである。しかし原審の昭和三十一年十一月二十八日午前中に行われた検証の結果によれば、被告人鈴木は右注油のための停車地点を三島市茅町のガソリンスタンド附近で、当時その附近で道路の片側を工事中であつたとしその地点を指示したに反し被告人李はそれより広小路踏切に近い三島六反田のパチンコ店附近で停車したものであり、道路工事現場とは被告人鈴木が指示したほど近くはないとはつきり申立てているのであり、この両者の指示しているのが距離にして四町余り隔つていること明白である。そしてこのように停車場所が全然違つていることからみて、被告人等が果して本当に停車したか否か疑わしく、寧ろ被告人等が十五分間の遅延を糊塗せんとして停車した事実がないに拘らず虚偽の申立をしているに過ぎないと認められる。又一〇五号車の荷が重いといつても渡辺嘉幸、小幡芳男の司法警察員に対する供述調書、金子茂雄の昭和三十年七月十六日付司法巡査に対する供述調書によれば一〇五号車は本社出発当時紙類を六噸位、雑貨一噸弱及び大一トラク本社から託された重量一貫余の帳簿等合計して七噸前後積荷を載せており積載量七噸半の一〇五号車としては特に重いとはいえないのみならず、原審証人野口和夫の供述によれば、その積荷は普通で野口が静岡から一〇五号車を運転してみて重いと感じた事はなかつたことが認められ、久保田晴正の検察官及び司法巡査に対する各供述調書によれば、久保田晴正は五月十二日一〇五号車の本社出発前被告人李に頼まれ一〇五号車ブレーキ修理をした後試運転をしているがその際エンジンの調子はよく他に修理を要する点がなかつたと認められるから、一〇五号車がそれよりも十五分後に発車した渡辺広二らの車に追い抜かれたのは、一〇五号車の荷が重かつた事のみが原因とはいえない。してみればこの十五分の全部が一〇五号車の極東商会前に停車していたことに基くとは断定し得ないまでも、一時間六、七分の距離を走るのに十五分の遅れを来したことは一〇五号車の走行過程に於て説明し難い異常なものが存すると認めても誤りとはいえない。

以上説明のとおり当裁判所の認める事実に被告人鈴木の司法警察員に対する各供述調書(但し右は被告人鈴木に対する関係に限定する)同被告人の裁判官並びに検察官に対する供述調書(検察官に対する供述録音三巻を含む)を綜合すれば、被告人両名が昭和三十年五月十二日沼津本社出発後丸正運送店に於て小出千代子を殺害し金銭を強奪せんことを共謀し、同日午前一時過ぎ本社出発後十分を経過した頃三島市田町丸正運送店附近に達するや、同店西北二十四間の地点にある極東商会前に車を停め、直ちに丸正運送店に赴き施錠のしてない表硝子戸を開け同店内に入ると、奥六畳間に寝ていた千代子が予期の如く手提鞄を持つて警戒する色もなく被告人等に接近し来つた隙に乗じ、被告人李は左掌で千代子の口を塞ぎ右手でその頸部を絞め、被告人鈴木は李の持つていた手拭(同押号の二〇)で千代子に猿ぐつわを施し、その足を同女の桃色細紐で絞り上げ、更に被告人李得賢が紫色人絹様細紐で千代子の頸部を絞扼し、よつて同女を窒息死亡させた上前記手提鞄在中の現金六千円を強奪した事実を認めることができる。なお医師鈴木完夫作成の鑑定書には千代子の死亡の原因並びに死後経過時間その他につき記載せられており、これらが本件の証拠となることは当然である。原判決の証拠説明中には当裁判所と見解を異にする点が認められないではないが、原判決が認定した罪となるべき事実そのものは当裁判所の認定するところと趣旨において異るところはなく、所論のように事実誤認があるとはいえず、当審において為した各事実取調の結果によつても右認定を左右するものではない。

論旨は、原判決に事実誤認があるとし、殊にその証拠説明について、真実性のない被告人鈴木の自白に基いて、種々の証拠をこの自白に合致するよう解釈し、或いは符号する部分のみを採用し、当然認められる事実を排斥し、或いは、その事実をことさら悪意に独断的に解釈したものであつて、非常識なものと非難するのであるが、多岐に亘るから、以下項を分けて順次判断する。

第一、原判決証拠説明第一には小出栄太郎、小出綾子、小出博、佐野豪夫の供述調書によつて被害者小出千代子の平素仕事上の行動を説明し、これと併せて司法警察員の検証調書により認められる千代子の屍体の位置、抽斗の開いていた点、鞄の所在及び鞄の口が放たれていた点を綜合することによつて、「犯人は夜間に自動車到着の際の丸正運送店の事情を知悉し、千代子の行動を利用し強盗殺人を敢行しようと計画したものと推認され、同時に犯人は日頃より同店に出入し、千代子と顔見知りであつたので、千代子が何等遅疑警戒の色なく接近して来ることを期待し、所期の如く巧にその計画を実現したものと思料される」といい、更に「従つて犯人は表硝子戸を憚ることなく開け物音を立て殊更に千代子を起したので、同女は大一トラツクの自動車が貨物の荷卸しに来たものと誤信し、運賃支払のため傍の洋服箪笥の抽斗を開け、現金在中の手提鞄を取り出し、これを所持し店先に至つたところ、平素から見慣れた犯人がいたので、何等危惧不安の念なく、不用意にこれに接近して行き、その虚を衝かれ、前記の如く店先において殺害強奪の魔手に遭つたものと推定される」としている。その叙述は洵に細密であるが、多少その度を超えた感があると共に、右の事実によつて原判決が犯人は丸正運送店に出入し、同家の事情を知ると共に千代子と顔馴染であるとの理由から大一トラツクの自動車の運転手及び助手であるとの嫌疑が濃厚であると断定しているのもやや飛躍した推定と認められないではない。しかし千代子の平素の仕事の上の行動や現場の模様から、犯人が荷物の積卸しに立ち寄つたような状況で現場に入つたものであり、少くとも千代子からみれば大一トラツクの従業者が来たものと考え、平素のとおりその荷扱をするため六畳間の寝床から起き出し、その室の電灯を点け、傍の抽斗から常用のチヤツク付手提鞄を取り出し、これを携えて店先四畳の間に出たところを、いきなり抵抗する間もなく何者かに殺害されたものであろうということは無理なく推認できる。そして千代子殺害に使用された手拭がその年の年頭大一トラツク藤枝営業所が大一トラツクの従業員等に配布したものの一本であり、又右手提鞄の中にあつたと認められる現金が相当額不足していると認められることを考え合せると、本件犯行が強盗殺人の案件で、その犯人が平常千代子方に出入していた大一トラツクの運転手助手等の仲間ではないかと推認しても、所論の非難するように経験則に反する不合理な判断とはいえない。

所論は更に、

一、被害者に反抗のあとが認められないこと。

二、現場に現金が残され、又金品を物色した形跡がないこと。

三、本件犯行が二階に居住する兄夫婦の寝室の真下に行われたにもかかわらず、誰にも気付かれず行われたこと。

四、被害者が常に鞄に入れて所持していたといわれる定期預金証書三通が他に隠匿されていたこと。

五、右預金証書が発見された際の、家人の狼狽振りの異常であつたこと。

を挙げ、この状況から本件は強盗によるものではなく、強盗を仮装した痴情その他紛争関係による殺人と推定することも無理ではないと主張するが、右の事実は前記の推定を左右すべき事実とは認められない。

なお原判決が被告人鈴木の自白調書を証拠としたこと及び本件犯行の動機を判示するについて間然するところはないことは後記のとおりである。

第二、酒井良明、大橋忠夫の証言中、同人等が極東商会前に停車中の貨物自動車を見た際、右自動車が荷物を積んでいた旨の供述が、信用できないものである点は当裁判所も所論と同一見解である。原審証人酒井良明は「日野ジーゼル七噸車が幌をかけ、五、六噸の荷を積んでいた」と供述しているけれど、同人の司法警察員に対する供述調書には同じ車の積荷について「荷物は積んでいない様でした」との供述があつて、その供述が前後相矛盾しているのである。そして当審の昭和三十三年四月十一日付酒井良明の供述調書によれば、酒井は右自動車のタイヤと荷台の間隔が開いていたのをみて、荷物が積んでないものと即断し、積荷の有無を確認したわけでないに拘らず、司法警察員に対して「荷物は積んでないようでした」と述べたと認められるから、原審公判廷に於て酒井が積荷に関して供述する部分も、積極的な供述であろうと消極的な供述であろうと信用できないものといわねばならない。この事は大橋忠夫の証言についても同様で、同人が明確な記憶がないに拘らず、警察における取調の際、荷物がなかつたものと述べたものであると認められるから、原審公判廷に於て、「満載とまでは思われぬが、荷を積んでいた」旨述べた事も信用できないところである。然るに原判決はこの当裁判所の措信できない積荷に関しての証人酒井良明、同大橋の証言部分を採用し、極東商会前に停車中の車は積荷の点からしても一〇五号車であることは疑を容れる余地がないとしている。所論はこの点を誤認であるとし、一〇五号車は相当の積荷があつたに拘らず酒井、大橋両名がみたというトラツクは積荷がないという以上極東商会前の貨物自動車は被告人らの一〇五号車でないと認めるべきもので酒井、大橋が司法警察員に対し積荷を否定する供述をしているのが正当であると主張するのである。しかし積荷に関する供述があいまいで、前後相反する供述をしており、それが明確な記憶に基かないものとして措信できないからといつて、その余の供述がすべて信用し得ないわけではない。本件犯行当時と覚しき頃大一の約七噸積みトラツクが現場附近の極東商会前に停車していたのを見たとする酒井、大橋両名の供述は警察以来一貫しているし、同人等が被告人両名に対し含むところがあるとは認められず、殊に酒井証人の場合では、同人が友人と電話で話し合つている中警察員が来てその話を聞いており、それがきつかけとなつて取調を受けるようになつたものであるのをみても、故意に被告人らを陥れるため大一のトラツクをみたと供述しているとは認められず、又酒井大橋らが自動車運転手としての経験からいつても、大一所属のトラツクが黄と朱を使つた鮮かな塗装であることや自動車運転手間においてトラツクの識別は極めて容易と考えられること等を考え合わせれば、同人らが目撃したトラツクが日野ジーゼル七噸半積以上の車で大一所属のものであるとの供述は、その目撃の際の印象を誤りなく伝えたものとして信用するに足りる。原判決が極東商会前にいたトラツクの積荷が一〇五号車に合致するものとし、その証拠として酒井、大橋両名の証言を引用したのは失当と認められるが、この事は右停車中の自動車が大一トラツクの一〇五号車であり、延いて本件犯行の犯人が被告人両名であると認定するについて影響を来すものとはいえない。所論は控訴趣意補充申立書によつて、

一、酒井、大橋の証言は時間の点からみて同人らが大一トラツクの一〇五号車を見たと断定はできない。

二、大橋忠夫と同乗していた大村平八郎は大一トラツクの車であることを確認しておらず、この点からも大橋の証言は信用できない。

三、酒井証人が丸正運送店の前を通り過ぎながら、同店内奥六畳間の四十ワツトの電灯がついていた事に気づいていないばかりか注意してみても異状がなかつたと証言しているのは、被告人等乗用の大一トラツクが未だ現場へ来ていなかつたものと認定すべき資料であるが、若しくは酒井証人が大一トラツクを見たというのが思いちがいに基くものである。

と主張する。

しかし酒井、大橋らが極東商会前を通過したのは被告人が大一沼津本社を出発して同商会前に至り停車した午前一時十五分乃至二十分よりも後の事と認められること前認定のとおりで、原判決も之と同一見解に立つものに外ならない。酒井、大橋の右通過時刻がそれより早く被告人らの一〇五号車を見た事実がないと断定するに足る明確な証拠はない。当審証人山崎忠一郎、同大村平八郎、同望月正已が述べているのは当時の記憶による正確な事実の陳述と認められない。この事は山崎忠一郎、大村平八郎らが望月運送店に早く着いたのがいずれであるかについてまちまちの供述をしている事からも窺い得るところであり、叙上の証言から大橋が運転する九二号車が望月商店を出発し、極東商会前を通過したのが午前一時十分頃であると断定し難く、従つて右大橋の方が被告人らの一〇五号車の同所に到達した時間より早かつたとは断定できない。加藤栄子の供述調書も酒井の車の極東商会前通過時間について原判決認定と異つた趣旨を供述したものとは認められない。大橋忠夫と九二号車に同乗していた大村平八郎は大橋より左に席を占めていたからといつて大橋よりも一〇五号車を確認でき得るものとすべき経験則は存在せず、大村が大橋同様一〇五号車と擦れちがいながら、それを大一のトラツクという事に気がついていなかつたからとて、大橋の証言が措信できないものとすべき理由にならない。大橋はみずから九二号車のハンドルを握り操縦していたのであるから大村以上に注意深く、極東商会前の車を大一所属のトラツクと見てとつたとしても不思議ではない。大村証人が当夜は雨と霧ですれ違う他の車を確認できなかつた旨供述していることは信用できない。又酒井証人が大一のトラツクを目撃してから本件丸正運送店前を通過したとき、他の証拠関係から見て、同店奥六畳間の電灯がつき、店頭で本件殺人行為が起きていたときに当る、と認められるに拘らず、同証人は電灯のついていた事に気がつかず、変つた気配が認められなかつたと供述するのであるが、当審検証の結果によれば、六畳間の電灯は二重のカーテンに遮られ、外部からは極く小部分の隙間から内部の点灯のことを窺われる程度で、大体において点灯の有無が判然しないのみならず、街路灯その他が店先の硝子に反射している事実を考慮すれば、酒井が車を運転して丸正前を通りすぎても、内部の点灯に気がつかなかつたことは不合理なものとはいえないから、酒井証人の右供述により同証人の供述全体が信用すべかさるものとすることはできない。

第三、原判決が右大一トラツク所属の貨物自動車に不審の点があるとしているが、その判断の不当なことは先に述べたとおりである。而してその他の証拠関係から、被告人らが本件犯行の犯人とされているのであるから、右貨物自動車乗務員が本件犯行と関連性があると判断したことも当然の事というべきである。

第四、原判決証拠説明の第四の判断がすべて正当なことは先に述べた。前記大一トラツクが極東商会前に停車していた事実が認められる以上、更に進んで右トラツクが大一の何号車で何人がこれに乗務していたかを証拠により確定しなければならず、そのため原判決のしたように大一所属トラツクの五月十二日午前一時頃における所在地点を探究し、これによつて右停車中の車が一〇五号車であると断定しているのは正当である。

第五、原判決証拠説明の第五の正当なこと(但し一〇五号車の積荷の点に関する部分を除く)は茲にくり返すまでもない。而して一〇五号車が極東商会前に到つたと認められる時期と酒井及び大橋がそのトラツクを見かけた時期とが微妙な関係にあると認められる本件に於て一〇五号車が極東商会前に到る時間的関係を詳細検討するは適切な方法である。

なお控訴趣意補充申立書には渡辺一男の証言、佐藤留雄、石田五郎、渡辺広二(渡辺広治とあるは広二の誤記と認める)佐藤三二(金子茂雄とあるのは誤記と認める)の供述調書を検討すれば、被告人等が極東商会前に停車した事実がなかつたことが認められるとする。一〇五号車がそれより十五分ばかり遅れて出発した一六〇、一六四号車に箱根山接待茶屋手前まで追抜かれなかつたのは事実である。しかしこの事実は被告人らの一〇五号車が三島市内で本件犯行のため時間を空費した事実を否定するものではない。もし本件犯行のため十分か十五分を要したとすれば、一〇五号車は三島市内又は箱根山入口辺で後車に追抜かれていたに違いないということこそ所論独自の見解に過ぎない。一〇五号車の荷物は一六〇号車や一六四号車に比すれば多かつたに違いないが、七噸半積みというその積載量以上に積んでいたわけでなく、エンジンその他は調子が良く故障はなかつたのであるから荷物が重くてそのためスピードを出せなかつたとは認められない。この事は前掲証人野口和夫の供述、久保田晴正の検察官司法警察員に対する供述調書によつて明らかである。従つて被告人らが三島市内で停車中一六〇号車などに追越されなかつた以上、右停車のため後車との距離が縮まつていたとしても、なお追越されるまでに相当距離を走ることが不可能ではないと考えられるからである。所論事実は被告人に有利な証拠とはいえない。

第六、判決が証拠説明第六項に挙げている証拠関係のみにより、本件手拭が被告人李の所有であり、本件犯行の際現場に遺留したものと断定した趣旨とすれば、その判断は当裁判所の必ずしも組し得ないところである。(右の如き事実は原判決の挙げる全証拠によつて初めて言い得るところといわなければならない)。しかし原判決が挙げる証拠により右と同様の手拭を被告人李が藤枝営業所から入手する機会があり、同人において所持していたであろうことは十分窺われるのであるから、これをもつて本件犯行認定の資料とするのは固より当然である。

第七、原判決が本件犯行当時の経済状況として認定した事実関係はいずれもその挙げている証拠によりこれを認めることができ、これをもつて本件犯行の動機を認定する資料としたことは正当である。

第八、原判決がその挙げている証拠によつて本件被害額を約六千円と推定したのは自然であり、小出綾子の供述が所論のように疑わしいものとは認められない。(右供述中九千三百六十六円とあるのは計算を誤つたからで、そこに記載されている金額を合計すれば九千七百六十六円となること明白である。)

又小出綾子が被害者の鞄の中から現金と共に盗まれた旨述べていた定期預金証書が後日本件の審理中に千代子の自宅仏壇下の押入内から発見されたことは所論のとおりであるが、右定期預金証書が何人かの手で故意に隠匿されていたものとは認められないし、定期預金証書が発見されたことにより、小出綾子の供述の一部が結果的には真実に反することが明らかになつたとはいえ、手提鞄中の現金が六千円余不足している旨の供述部分まで真実性が疑わしいものとはいえない。従つて本件が単なる殺人であるか、或いは殺人後の窃盗と認めるのが合理的であるとする所論は是認できない。

第九、所論は原判決が「被告人等が大社前から曲つて極東商会前に至り、自動車から降り、丸正運送店に入り、判示犯行を遂げ、再び該車に乗つて大社前迄に至る時間は十分を要せずして足りるとしている点を捉え、自動車による右コースの所要時間三分を差引いて、正味の犯行時間は七分であると解し、本件犯行は七分や十分では不可能であり二十分以上を要するとするのが常識に合致するから、原判決の右説明は不当であるというのである。しかし原判決の右説明は上来説明して来た事実関係の下に於ては被告人等の本件犯行に要する時間が比較的短時間であり(被告人らが極東商会前で停車し本件犯行中に、被告人らの一〇五号より約十五分遅れて本社を出発した一六〇、一六四号車に追越されてはいないから、犯行に要する全所要時間は道を迂回して極東商会前に至る時間を加え十五分を超えることはあり得ないわけである。)その程度の時間では本件犯行は不能とする見解に応える趣旨でその可能性を更に検討したものと認められ、現実に十分以内に行われたか否かは別とし、十分以内でも可能性があるといつているに止まるのである。そして本件犯行は必ずしも所論のように二十分以上費さなければ不可能のものとは認められず、原判決の右説明はあながち不当のものとはいえない。

なお所論は控訴趣意補充申立書中において、医師鈴木完夫作成の鑑定書を非難し、非科学的で証明力の乏しいものであり、千代子の胃の内容物を検討すれば千代子は五月十一日午後十二時前に死亡したと認められると主張し、かつ又原判決がこの鑑定書を採用し、千代子の死亡時期を午前一時五十分乃至二時五十分としたのは、被告人の犯行が午前一時二十分頃から十分を要せずして可能であるとしていることとの間に若干時間的に開きがあり、犯行終了後時を経て死亡したことになるとし、右の如きは原判決の理由のくいちがいであり、審理不尽、理由不備の譏を免れないと主張する。なるほど同鑑定書をみると、解剖時における直腸温度の測定が機械未購入のため測定してないし、十二指腸内容物測定もせず、或いは角膜混濁の程度に触れている記載がないから、右混濁度を解剖時に検討したか否かが不明であるなど、鑑定に必要とされる資料蒐集方法に粗漏な点があるし、その確定した死後経過時間についても死後硬直のみから判定しているため稍不正確なものと認めざるを得ない。しかしそのために同鑑定書が全体として証明力に乏しく、全く証拠に採用できないものとはいえない。(又いかに科学的に精密な方法を採用しても死後経過時間を測定するに当つて幾分の誤差は免れないところと認められる。)同鑑定書が千代子の死亡時期を解剖開始時(五月十二日午前九時五十分)に於て死後七、八時間となし、千代子が同日午前一時五十分乃至二時五十分に死亡した旨鑑定したことが、本件犯行時間と接近し、細紐による絞頸が原因となつた窒息死と鑑定されていることと相まち、本件被告人らの犯行の証拠となし得ないわけではない。而して当審において更に証人として取調べた右鈴木完夫の供述、鑑定人上野正吉の供述に、前記鑑定書を綜合すると、千代子は十一日夜十二時前に殺害されたものでないことが認められる。なるほど千代子の胃の内容物をみると、軟化した食物百瓦を存していたのであり、それだけを取り上げてみれば食後三、四時間を経過した後死亡したもので十二時前に殺害されたのではないかとの疑が生じないものではない。しかし人の消化活動は、精神状態や肉体的条件に左右されるのは固より睡眠時における胃の活動は覚醒時に劣るものがあつて、場合によつては胃の内容物が消化されずそのまま覚醒時まで停滞していることもあるから、千代子がその死亡前睡眠していたと認められる本件に於ては、千代子の胃中の食物の残存量や消化経過等から食事後死亡時までの時間につき正確な判断を下しかねるものがあり、死後硬直による死後経過時間を測定するよりも科学的に正確な資料とはいえない。従つて所論事実によつては千代子が十二時前に死亡したものではないとの前段推認を左右するに足りない。又原判決が、被告人等は午前一時二十分頃極東商会前に車を止め、丸正運送店に至り千代子を絞扼し、窒息死亡させたとし、一方千代子の死亡時期を一時五十分乃至二時五十分と推定し、更に本件犯行は十分を要せずして完了する可能性があるとしているから、一見理由のくいちがいが存するようにも解せられるが、原判決の千代子死亡時刻に関する記載は必ずしも正確にこの時期に死亡したとしているのではなく、単に鑑定書の記載を引用し、これによつて被告人の行為と千代子の死亡との間に因果関係の存することを証明せんとした趣旨と解し得ないではない。仮にそうでないとしても、千代子の医学上の見地からする死亡の時期は被告人らの犯罪行為終了後直ちに惹起されるものとは云えず、必ずしも被告人らの行為終了時と一致するとは限らないものがあると認められ、原判決の証拠説明はそれ自体にくいちがいがあるということはできない。

第十、原判決は証拠説明第十において、本件犯行後の工作及び被告人李の金銭浪費事実を認定しているが、それは本件犯行が被告人らによるものとすれば、事後工作又は浪費と看做される事実があることを認定したもので、本件について一種の証拠たるを失わない。

第十一、原判決は証拠説明第十一において、小出栄太郎が本件犯行の犯人とは認められないことを述べているが、これは被告人李の右小出栄太郎が犯人ではないかとの供述に応えた趣旨と認められる。犯人が小出栄太郎でないとの判断が、直接被告人が犯人であるとの判断につながるものではない。しかしそれが被告人らを犯人と確定するための間接的な証拠とする事は必ずしも違法ではない。

最後に所論は被告人鈴木の自白は真実性がなく、採用すべからざるものと主張する。しかし被告人鈴木が原審及び当審においてくり返し述べているような取調官による相次ぐ強制、拷問脅迫の事実が認められず、又同被告人の自白内容が真実性に乏しく証拠価値のないものとすることもできない。記録に徴すると、被告人鈴木は昭和三十年五月三十日本件とは別の窃盗罪により逮捕され、同年六月一日本件強盗殺人罪の逮捕状に切り替えられているが、右令状切替前の五月三十一日本件犯行に関する取調が初められたところ、同被告人は当初それが自己の犯行であることを否定し、一〇五号車の時間的な遅れについては、当時三島市内に於て噴射ポンプに注油したために一回、箱根山中に於て水を補給するため二回も停車したことがあつたとし、本件犯行遂行によるものとは認めなかつたが、注油の場所が被告人李の供述するところと全然異つていたし、又箱根山中で水を補給したとの弁解が係官の納得できないものがあつて、更にその点に関し取調が行われる中前の弁解を維持できなくなつた同被告人が自白し初めるに至つたこと、最初の五月三十一日付供述調書は稲葉定信が作成しているが、同人に対して被告人鈴木は一〇五号の停車方向を真実とは反対に南向きであつたと述べ、その進行経路も虚偽の供述をしていたのであるが、翌六月一日栗山敏隆に取調べられた際、右虚構の陳述を訂正したので、その供述調書も被告人の言うままに記載作成されていること、右取調に当り被告人を三島警察署に隣接する同署長官舎に伴い其の一室に於て為されたが、それは新聞記者から取調の妨害を受けるかも判らないことを顧慮し、その目を避ける以外に他意なく、被告人を強制し自白させる目的に出たとは認められないこと、被告人鈴木を多数取調官が取り巻いて自白を求め、取調中絶えず正座させてあぐらをかく事も許さなかつたとか、その他肉体的苦痛を与える行動はなく、食事時間に食事を採らせないで取調を続けたり、夜遅くまでこれを継続した事実もなく、その取調状況が被告人鈴木の訴えているか如き不当なものであつたとは認められない。被告人鈴木の供述中車の停車方向や進行経路に関する部分が翌日変更されているからといつて、それが同被告人が無知のため警察官の誘導のまま自己の関与しない犯行を供述したとは認められない。又千代子を殺害したのが、二階に就寝中の栄太郎夫妻の寝室の真下であるに拘らず、栄太郎がこれを察知できない位物音をたてていなかつたとしても、この事が同被告人の供述の真実性を失わしめる理由となり得ないのはもとより、その他所論事由をもつてしては本件犯行に関する供述内容が非常識で信用できないものとは認められない。従つて原判決がこれら各供述調書を証拠としたのは正当である。

論旨は理由がない。

よつて本件各控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三百九十六条によりいずれもこれを棄却し、刑法第二十一条を適用し当審における未決勾留日数中三百日を被告人両名の刑に算入し、当審の訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条、第百八十二条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 加納駿平 判事 足立進 判事 山岸薫一)

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